第31回 「完全なる証明」の言葉

 

 

 

マーシャ・ガッセン著、青木薫訳、「完全なる証明」〔副題:100万ドルを拒否した天才数学者〕(文春文庫、2012年4月)はユダヤ系の数学者グレゴリー・ペレルマン(Grigori Yakovlevich Perelman, 1966–、ロシア:以下Pと略記)についての評伝です。Pは100年来の難問であるポアンカレ予想を証明したことで知られています。著者のガッセン自身はPと同年齢、やはり旧ソ連に生まれ育ったユダヤ人の女性であり幼くして数学に心を惹かれたことから、本書では数学の専門分野に深く切り込みつつPにまつわる出来事を詳しく記しています。

Pは風変りな数学者として知られていますが、その理由の一つにヨーロッパ数学賞、フィールズ賞、さらに本書の副題にある100万ドルの賞金を含むミレニアム賞という大きな賞を辞退したことがあげられます。ただし「風変り」という言葉で表してしまうと、Pを取り囲む社会、数学界、人物像が理解しにくくなります。なお、本書は著者ガッセンがPに直接インタビューして作られたものではありません。その当時Pはすでにほとんどの人たちとの接触を断っていたので、周囲の人たちへのインタビューなどを通じて書き進められました。

「風変り」な人物像に焦点をあてると、頑固者、世間知らず、理想主義者、燃え尽き症候群といった言葉が出てきますが、Pについてはどうもそれだけでは片付かないようです。政治体制、人種問題、経済活動、ジャーナリズムなどがPを狭い世界に押し込めてしまったように思えます。そのたぐいまれなる数学能力でポアンカレ予想を証明しましたが、本書を読み進めるうち、彼の「風変り」な行動、態度が何となく理解できるようになりました。

ここではまず彼の研究活動を中心にした【事実】を列挙します。次に彼の【人物像】に関する記述を紹介しますが、これには著者ガッセンの見解も含まれています。なお、最後にこれらは私が感じた【オフシェル科学との接点】を記します(脚注[1-7]として記載)。上記の二項目の内容はこの【接点】に関連する話題のみに留めます。

【事実】
Pが少年時代を送ったソビエト連邦の体制下では研究テーマを選ぶことや研究そのものを進めることの自由度が著しく制限されていました。ただし数学はこのような災難を受けることが少なく、特に傍流の数学を研究すると(給料は極めて少なくなるものの)、雑用に煩わされず息の長い研究ができたそうです [1] 。

ポアンカレ予想の証明のPの論文の第一報は2002年11月にPreprint depository “arXiv.org”に掲載されました(コーネル大学図書館が運営するウェブサイト)。その後これを含めて三部構成の論文が発表されました。証明を検証するため、少なくとも四人の一流数学者が二年余りもの歳月をかけて、論文読解に取り組みました。この証明の際、Pは想像上の四次元空間について語りながら、彼の口ぶりは「自然界」で起こること、そして起こらないことを論じているかのようにユニークだったそうです [2] 。

その後、ポアンカレ予想の証明の最後の詰めは自分たちが行ったという中国人数学者も現れる始末でした。このような奇妙な先陣争いは終結したようですが、フィールズ賞授与に際し、Pに対する評価については慎重に言葉が選ばれ、彼が証明したことを正式に認める記述は避けられてしまいました [3] 。

【人物像】
著者ガッセンは数学者を三つのランクに分けています。

第一ランク: 最高位の知的エリート。新しい地平を切り開き、新しい問いを発する人。第二ランク: そのような問いに答える方法を考えつく数学者
(いずれは最高位にたどり着く人たちの若き日の姿であることも多い)。
第三ランク: 証明への最後の一歩を踏む人(極めてまれなタイプの数学者)。

ポアンカレ予想の証明についてはPは第三ランクだそうです。ちなみにポアンカレとサーストンは第一、ハミルトンは第二のランク。ポアンカレ予想の証明への道のりは、ハミルトンによって道標が付けられていました。まさにそんな問題を探していたのがPだったそうです[4]。

Pはポアンカレ予想の証明をarXivに投稿しましたが、それは購読料をとって学術雑誌を配布するという考え方に挑戦するものでした [5] 。Pが数学の学術誌に投稿していたなら、彼の研究がこれほどまでに詳しく検討されなかったといわれています。投稿論文は何名かの査読者により審査されますが、その効率、正確さには限界があるからです。ウェブサイトにあるarXivに投稿したことにより、査読の公開性、効率化、時間短縮が実現しました。Pは学術雑誌に発表するという慣習を侮辱しようとしたわけではなく、単に、従来の方法は彼にとっては役に立たなかったのでした[6] 。

その後、大きな賞の授与対象となったとき、 Pは「ヨーロッパ数学会には自分の研究をきちんと評価できる者はいない」と語ったそうです。論文が賞に値するかどうかを判断するのに、自分よりもふさわしい人間がいるという意見は、Pをただ怒らせただけだったようです [7] 。

Pはヒト数学プロジェクトの当事者だったそうです。すなわち元来数学者であった母親が数学を捨てPを生んで以来、Pは多数の恩人に育てられ汚れなき数学の世界で生きることができました。Pはその目的を果たすことで、恩人たちに報いました。この時彼の頭の中には、人が当然守るべき規則が出来上がっていました。それは「人は自分が理解していないものについては何も語るべきではない。数学の偉業は、専門家がそれと認知することにより報われるべきであり、それはその仕事を徹底的に探究することだ。金銭はそういう地道な努力の代わりになるものではない。それどころか、金銭を提供しようなどと申し出ることは、人を侮辱するものだ。」というものです。またその規則には人間行動の機微や、人それぞれの事情などが入り込む余地もありませんでした。そしてPは次第に他人の行動に対する許容度を小さくし、余計なものにはかかわりたくないという気持ちを強くしていったのだそうです。

【オフシェル科学との接点】

[1]これは現代科学でも共通するところがあります。主流と呼ばれる研究が必ずしも独創性に富んだものではありません。独創性は往々にして傍流から生まれるのです。

[2] ドレスト光子の事情に似ています。なぜならオフシェル領域の量子場であるドレスト光子の生成の起源は四次元空間のspacelikeの場にあるからです。それが「自然界」としてのオンシェル領域の量子場に変換されて観測されるのです。

[3]現代科学でも何か新しい発見・発明があると、「実は私も同じことを昔考えたことがあってね」とつぶやき、時には主張する人が現れるそうです。実際はその考えを実現する努力をせず、単なる空想のみ・雑談だったのですからそのような主張はする資格はありません。しかし「そのような人が少なくとも5人現れるとその発見・発明は本物」とも言われています。実は私自身も同じ経験をしたことがあります。その様子は拙著中に略記しました*
(*)大津元一、「ドレスト光子はやわかり」(丸善プラネット、東京、2014年3月)p.63。

[4]私の考える科学技術についてのランクは1.発見・発明、2.説明、3.改良4.紹介です*
(*)「第1回 忘れえぬ言葉」に掲載済み。

[5] オフシェル科学の分野でも、同様の趣旨でPreprint depository “ Off-shell archive”を設立・運営しています。

[6] オフシェル科学は新分野なので、論文を学術雑誌に投稿してもそれを査読できる人が殆どいません。Off-shell archiveなどのようなウェブサイト上のへの投稿の方が適しているのです。

[7]「その賞の審査員の能力以上の人はその賞を受賞しない。」とよく言われます。審査員は自分以上の能力のある人を評価する能力を持たないからです。

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