第33回「一粒の柿の種」の言葉

 

 

 

渡辺政隆著、「一粒の柿の種」(副題:科学と文化を語る)(岩波書店、岩波現代文庫、社会31820202月)はサイエンスコミュニケーションに関する書籍です。表題は寺田寅彦著、「柿の種」(岩波書店、岩波文庫、緑37-719964月)を彷彿とさせます。渡辺氏によるこの書は研究についての考え方、科学の啓蒙及びそのための書籍の書き方、などについて味わい深く記しています。そのいくつかを紹介しましょう。

[研究についての考え方]
卵を立たせるのは必ずしも難しくないのですが(立春の卵伝説)、長きにわたり難しいと思われてきたようです。著者はこの例をもとに、長い間見逃していた自然現象が目の前にあることを指摘し、さらに「卵がいつでも立つ理由を論理的に考えてみると長年にわたって信じられてきた先入観が崩壊し新しい世界が眼前にひろがる。」、「科学で遊ぶことがもっと盛んになってほしい。」と述べています。 

私の研究に関しても同様のことが言えます。私が着手したオフシェル科学はこれまで多くの人たちにより研究されてきたオンシェル科学とは別に、長い間顧みられなかった(、見逃してきた)「自然現象」であることを指摘しておきましょう。オフシェル科学は科学で遊ぶための題材としてうってつけです。 

[科学の啓蒙及びそのための書籍の書き方]
ダーウィン著、「種の起源」は専門家向けの学術書ではなく、一般向けの教養書として出版されたもので、その文章は読みにくい点はあるにしても、読者の誤解を招きにくい文章で書かれており、それが進化論を普及するきっかけにもなったそうです。私と共著者によるオフシェル科学の入門的な専門書が今年出版されます。これに加え優れた教養書を出版するとオフシェル科学の普及を後押しできそうです。それにはまずこの科学に関する「優れた教養書」とはどのような書籍なのかをじっくり考える必要がありそうです。

米国の天文学者セーガンは1980年代のテレビ番組、啓蒙書出版などでポピュラーサイエンスの寵児となりましたが、米国科学アカデミー会員には選ばれなかったそうです。いくら著名でも科学者としてはたいしたことがないという印象を与えたからだそうです。しかし彼の研究業績は決して他のアカデミー会員と比較しても遜色なかったようです。彼の例のように、世間における人気度やセレブ度が科学コミュニテイ内における評価と反比例する現象は「セーガン現象」、「セーガン化」と呼ばれています。優れた生物学者・科学史家グールドは「セーガン化」に対し、「それはジェラシーのせいさ!」と答えたそうです。ごもっともです!セーガンを批判するような人は、どのようなことにも負の評価を与え、批判しがちです。その人たちはセーガンをしのぐような質の高い仕事をしていないことが多いのです。「セーガン」にさえもなれず、ジェラシーを持っている人にはかかわらない方がよいでしょう。

著者は文章の書き方について池澤夏樹「すばらしい新世界」から、「形容詞が多すぎる文章は用心した方が良い。形容詞を乱発するのは何かを隠している時だ。要するにこれは論理的な説明の文章ではなく、広告の文体、いわゆるコピーだった。」と引用しています。私もいくつかの一般向け教養書、さらに学術書の中にその内容を独創的・斬新に見せようとするあまり過度の「形容詞」、「形容文」が多い文章を時折見かけます。そのような場合、その文章は研究内容の欠点を隠していると判断する方がよさそうです。

さて本書中で、「伝説によれば、天女の羽衣には縫い目がなく、そこから天衣無縫という言葉が生まれた。科学が文化に溶け込み浸透するとしたら、これぞまさに天衣無縫の実現だろう。」という記述を見つけました。実は私たちの(一般社団法人)ドレスト光子研究起点のロゴマークは「光子」が十二単の衣をまとい、さらに羽衣をまとった図になっています(1)。《「光子」「みつこ」ではなく「こうし」と読みます。英訳はPhotonです。》十二単は電子のエネルギーを表しています。要するに「光子」はナノ寸法の物質中でこの衣をまとって(dress)「ドレスト光子」(dressed photon)となったわけです。彼女はさらに羽衣もまといます。この羽衣はフォノン(結晶中の格子振動)のエネルギーを表しています。つまり「ドレスト光子」は羽衣もまとっているのです。その結果彼女に天衣無縫の活躍をしてもらえるようになりました。

1 羽衣をまとったドレスト光子 

[研究とサイエンスコミュニケーション活動との関連]

科学をやさしく説くためには、まず自分の研究の質を高める研鑽が必要です。現に著者は「サイエンスライテイングとは、科学の単なる翻訳ではない。セーガン、グールド、ドーキンスは、自らも含めて科学者たちが科学の方法を駆使することによって獲得した膨大な知識の体系を背に、無限の宇宙や時間の深淵について語り続けてきた。」と述べているではありませんか。読者は「やさしく説いた書籍」を読みながら、研究者としての著者の苦労・努力とその賜物である研究の質を敏感に感ずるものです。著者はこれらをまとめて「偉大な科学者は、テーマや著者の信用や香りを損なうことなく、偉大なポピュラー化を成し遂げてきた。」と指摘しています。 

著者はさらに「科学とは、仮説を構築しては実験観察などでそれを検証して行く作業。従って優れた研究者にはストーリーテラーとしての資質が欠かせないはずだ。」と指摘しています。この文章の前半と同じ内容を私は以前「第7回 「技術大国・日本の未来」の言葉」にて、著者西沢潤一氏の言葉として「原理や仮説を探る基礎研究をしながらモノに結び付ける注意を払い、またその逆をやるのが重要。」と記しましさらに文章の後半にある資質を著者は「リテラシー」と表現しています。リテラシーとは知識を持つだけではなくそれを有効に使える能力もそなえていることです。要するに科学に関する蘊蓄に富み、それを応用できる(、すなわち蘊蓄を傾けられる)能力です。なお、蘊蓄に富むことを誇る人を時折見かけます。しかしその人は単なる雑学の成果を誇り、とりとめのない話、出まかせの話をしているだけなのです。そのような話を聴いていたのでは研究の障害となってしまいます。蘊蓄が豊富に得られたらそれを得意げに披露するのではなく、それを傾けて研究することが大切なのです。

 

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