第34回「「教養」とは何か」の言葉

 

 

 

阿部勤也著、「「教養」とは何か」(講談社、講談社現代新書135819979月)は西欧と日本の歴史・文化・社会構造を比べながら、わが国で「教養」を身につけるにはどうしたらよいかを解説した書籍です。著者はこれを自身の前著、「「世間」とは何か」(講談社、講談社現代新書12621995年)の続編と位置付けており、上記の西欧と日本の違いを「世間」という術語でとらえています。多くの含蓄に富んだ話題が記されていますが、結論を引用すると、「教養がある人とは「世間」の中で「世間」を変えてゆく位置に立ち、何らかの制度や権威によることなく、自らの生き方を通じて周囲の人に自然に働きかけられる人のことをいう。」となります。この結論に至るまでの記述の中に、理系の研究とつながるものがいくつか見つかりました。以下ではそれを紹介しましょう。
【田村仁左衛門吉茂の言葉】 江戸時代の農民田村仁左衛門吉茂は幼少期に寺子屋に行くよう勧められてもそれを断り、算術の勉強も断って農業一筋に働きました。そして家督を譲った後に「吉茂遺訓」を記しました。生半可な学問は鼻を高くさせるだけで、百害あって一利なしと考え、単に技術としての手習いを否定し、人の道を知ることが大切だと主張し、この書では「子や孫に技術としての手習いを学ばせたりすると、文字を少し覚えたぐらいで気位が高くなり、人を見下す人間になることがある。何事も自然にゆだねて気長に待つことが大切。」と記しています。これは現代では受験や就職のためだけに勉強の技を身につけた学校秀才は「教養人」とは言えない、ということに対応しています。さらに、当時の小道楽者として「生半可な学を鼻にかけるもの、生半可な数学者、理屈屋、道具に凝る者、見栄っ張り、・・・」などを挙げ、これらを批判しています。この批判も現代に通じそうです。吉茂が文字を使いこなせるようになったのは五十歳以後であり、書物から学んだのは晩年になってからでした。彼の教養のすべては農業の中にありました。それは彼が一人で獲得したものではなく、多くの農民との付き合いの中で獲得したものでした。いわば彼の「教養」は個人の教養ではなく、共同作業の中で、すなわち「世間」の中で身につけたものです。翻ってドレスト光子研究は吉茂の仕事、学び方に通じるところがあります。ドレスト光子の研究は実験一筋によって進みました。欧米で流行している研究の手習いによったのではありません。研究開始後30年たって、小道楽ではない独創的な理論研究が始まり、理論研究者との共同作業の中で新しい知見が得られるようになりました。
【フーゴ―の言葉】フーゴ―(パリのサン・ヴィクトル律院のキリスト教神学者)は学芸について、「当時重要と思われていた七つの学芸を選び出して、ほかの学芸には触れず、選びだした学芸において自らが完全な者になることができるとみなす人々は間違っている」と論評しています。これも現代の理系研究に通じます。すなわち現在重要と考えられている研究テーマのうちの一つを選んでこれを追求しても、それは流行の後追いであり、独創性とは無縁、すなわち吉茂のいう小道楽なのです。

 

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