第35回「柿の種」の言葉

 

 

 

寺田寅彦著、「柿の種」(岩波書店、岩波文庫、緑37-7、1996年4月)は第33回に取り上げた渡辺政隆著、「一粒の柿の種」の元祖のような表題を持つ書籍です。私はこれを20年以上前に購入して読みましたが、渡辺氏の著書が最近出版されたこと、さらに最近のCOVID-19対策の外出自粛ゆえに新刊書の入手がままならないこと、などの理由により、久しぶりに本書を開きました。

本書は著者の寺田氏が書いた多くの短文を収録したものです。寄稿先は俳句雑誌ですが、物理学者としての寺田氏の科学に対する姿勢が垣間見える内容がいくつか含まれます。本稿ではそれらを紹介しましょう。

寺田氏が活躍した20世紀初頭は量子力学、原子物理学というミクロの世界を解明する学問の黎明期であり、これらは西洋で活発に研究されました。寺田氏はそのような最先端課題に挑戦しつつも、ごく日常に見られる物理現象にも着目しました。それらは亜流として非難されたようですが、現在ではそのような現象の研究は複雑系科学と呼ばれその意義が認識されています。この現象の解析には従来の科学とは異なる理論手法が必要です。寺田氏は「主流となる科学は解ける問題のみを解いてきたにすぎない」と考え、ミクロの世界とは違う現象としての複雑系科学を扱いました。

寺田氏は西洋で流行しているものに目を奪われるのではなく「日本に固有の」研究を振興しなくてはならないと考えていたようです。「日本に固有の」という言葉を借りて、自ら創造することなく模倣にのみ走る日本人に警鐘を鳴らしていたのです。それが端的に表れている文章の一部を以下に引用します(本書中の短文、「ノルマンディー」より)。
「日本もいろいろな精神的なことでは世界一を自信しているようであるが、科学とその応用方面でどれだけの自信があるか疑わしい。・・・日本人の出した独創的な破天荒なイデーは国内では爆発物以上に危険視される。同じ考えが西洋人によって実現され成功するのを見ると安心して成果の模倣を始める。『外国に劣らぬものができた』というのが最高の誇りである。しかしそれができたころには外国ではもう次の世界一ができかかっている。」

この警鐘は現代の科学技術にもあてはまります。日本の科学技術は世界のトップを走っているといわれていますが、やはり西洋の研究を有難がり、国産のものを軽視する傾向は続いています。根源のアイデアは西洋から輸入し、「追いつけ追い越せ」で後追いし優れたものができたことを誇ってもそれは長続きせず、その間に外国ではもっと優れたものを安価に作るようになったり、次の世界一が生まれてしまいます。

私はかつてこの警鐘に相当する内容を拙著、「ドレスト光子はやわかり」(丸善プラネット、2014年3月)中のこぼれ話「先導性の判断基準」の一部に記しましたので、それを引用しておきましょう。

「日本でも『作った学問』で研究や教育ができてよいはずなのに、いまだ『習った学問』が多いように感じられます。外国にライバルがいることを誇り、その論文は引用するものの、日本人のライバルがいるのを喜ばず、その論文は引用しないという風潮はないでしょうか?」

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