第18回 「Mr.トルネード」の言葉

 

 

 

佐々木健一「Mr.トルネード」(文芸春秋、2017年)は気象学者・藤田哲也の評伝です。藤田は長く米国において竜巻などの局所的な気象現象を研究し、1970年代に多発した飛行機の墜落事故の原因がダウンバーストであることを突き止め、その後の航空機の安全な運行に大きな寄与をしました。

藤田はきめ細かい実験と観測の結果をもとに、「子竜巻」の現象を詳しく分析し発表したのですが、その先見性、独創性ゆえに「そんなことは昔から知っている。君が第一発見者ではないんだよ。」(注1)など、耳を疑うようなことまで言われたそうです。この経験をもとに「批判を恐れて保身に走らず、己の信念に従い、自らの説をはっきりと示すべきだ」と考え、「学者たる者はこうあるべきだ」という像を自分の中にはっきり抱くようになったそうです。当然といえば当然ですが、わが身になったとき、どのくらいの人がこのような像を抱けるでしょうか?

また、藤田は複雑な気象現象を分かりやすい図やイラストにして論文に載せたそうです。本書に掲載されているある例をみると、素朴ながら巧みな絵で、その高い画才に感動すら覚えます。後に気象界の“ウォルト・ディズニー”と称されるようになった所以です。このような方法は難しいことを難しく伝えがちな学術界において異色でしたが、藤田は誰にでも分かりやすく伝えることを実践したのです (注2)。それだけではなく自己演出、広報活動を好んで行っており、自分のことを「Mr.トルネード」と呼びました。これが本書の題名となっています。

藤田は研究論文を通常の気象学雑誌には投稿しなかったとのことです。これらの雑誌に投稿された論文は査読審査を経て掲載されるのですが、藤田は査読審査に数ヶ月という長い時間がかかるのことを嫌い、非公式の出版物として発表していました(注3)。査読なしの形で発表され、その内容もあまりに時代を先行していたため、簡単には受け入れられず、従って当時余り知られていませんでした。このように査読を受けずに自説を発表する方法は気象界では非常に異端でした。

藤田がこのような方法で主張する上記のダウンバーストの存在は、当時は誰からも信じられませんでしたが、やがて気象学者ではなくむしろ航空関係者が信じるようになりました。藤田がダウンバーストを突き止め、実証した後、今では100%の気象学者が信じているそうです。それだけではなく「藤田の研究以前からダウンバーストの存在については知っていた」という人すら現れたそうです(注1)

 

(注1) ドレスト光子の研究においても同様なことをコメントする年配の学者がいることを実感したことがあります。大津元一「ドレスト光子はやわかり」(丸善、2014)p63に記してあります。

(注2) 現在は高度なCG技術がありますので、ドレスト光子の説明のためにも、この技術の活用が試みられています。下記の招待講演にて紹介されます。
菊池司、「CGで可視化・映像化することの意義-自然現象からドレスト光子まで-」、(社)ドレスト光子研究起点発足記念シンポジウム(平成29年11月6日、横浜)

(注3) 従来の学術雑誌が長く採用している査読システムの功罪については、その歴史も含めて、M. Baldwin, “In referees we trust?,” Physics Today, vol.70 no.2(2017)【和訳は、小野嘉乃、「ピアレビュー制度今昔物語」、パリティ(丸善、東京)第32巻、2号(2017) pp.31-39】に解説されています。長所はもちろん査読の公平性により公の信頼を得ることができることですが、欠点もあります。すなわちこの公平性そのものが疑われることです。具体的には、掲載された論文にも欺瞞的あるいは不備な結果が掲載されることがあること、査読は既成の考え方や研究機関に有利であり科学的革新を押さえつけることなどです。さらなる欠点は本文に記したように査読審査に長い時間がかかることです。そしてこれらの欠点はすでに1845年の段階から指摘されていたそうです。
この問題を解決するため、最近の物理学の研究者は、査読を受けない論文アーカイブに投稿する傾向が高まってきています。ドレスト光子の研究分野でも、Off-shell archiveと名づけられたアーカイブが新設され、最新の研究成果の迅速な発表の場として供されるようになりました。

 

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