第19回 井上章一の言葉

 

 

 

井上章一編「学問をしばるもの」(思文閣出版、2017年)は「人文諸学の科学史的研究」の参加メンバーによる報告書をもとにした大部の書籍です。人文諸学は言語学、社会科学、美術史、史学、文学史などを含む学問とのこと、要するにこれらは私が苦手とする文系の学問です。

井上がこの研究を実施するきっかけは、この分野の研究には次のような傾向があることに気付いたことだそうです。すなわち

(1)時代の型に枠どられる(その当時の政治の影響も含まれるのかもしれません)。

(2)学統の感化を受け、出身大学や出身ゼミの色を帯びる。

そこでこれらの傾向について調査し、さらに次の傾向も見いだされたことを本書で報告されています。

(3)自国の歴史研究に外国の研究が新機軸を伝え、それが自国でも検討される(これは研究の逆輸入?)。(例:1930年代から日本では明治維新の革命性を否定的に評価していましたが、渡仏した桑原武夫はフランスの知識人が明治維新を評価していることに驚き、これが桑原の発想の転換を促させたとのことです)(同書p.234-249)。

(4)研究者の所属する学統、学派の属する地域を重んじ、当地の大学は地元の業者に喜ばれる研究を進めてきた(同書p.350-352)。

翻って私が従事している理系の研究の場合、これら(1)-(4)の傾向はどのようなものでしょうか?上記のように私は人文諸学にはまったく疎いので、能力・理解不足による誤解があるかもしれませんが、あえて次のようにまとめてみました。

(1)について:古くはガリレオガリレイが「科学の目的は無限の英知への扉を開くことではなく、無限の誤謬にひとつの終止符を打っていくことだ」(注1)と述べたように、理系の標準的な研究課題は当時進められている研究の未解決問題に解答を見出すことです。極言すれば従来の研究の改良、量的変革です。これが理系版の「時代の型に枠どられる」ことといえましょう。質的変革、すなわち従来の研究動向とは脈絡なく突拍子もない新研究が現れることは極めて稀です。とはいえ流行している研究の後追いをして多人数で盛り上がり、そこで見つけた未解決問題に対してあわただしく競い合って解を求めることは独創性とは無縁です。自分の頭でよく考えて、無限の英知への扉を開き、質的変革をもたらしたいものです。

(2)について:学生が研究を始めるに際し自分の所属する研究室の教員の指導を受けるので、その教員の影響、研究室の色を帯びることは当然です。しかし一人前の社会人となって研究を続ける場合、学生時代に染まった色から抜け出し、自分の頭で深く考えて指導教員の理解の及ばない新しい研究分野を開拓したいものです。

(3)先進国で流行している研究に興味をもつのは一向に構いません。しかし追いつけ追い越せの気持ちでこの研究に着手し、研究仲間やライバルが先進国にいることを誇り、彼らの論文を引用するものの日本にライバルがいることを喜ばずその論文は引用しない、という風潮はないでしょうか?その結果、日本で独創的な研究が行われていてもそれを積極的に知ろうとはしない傾向が生まれます。そうこうするに先進国がこの研究をフォローすると、それが日本でも知られるようになる、いわゆる研究の逆輸入が起こります(例:八木・宇田アンテナ(注2))。独創的な研究を行い、それを堂々と輸出したいものです。

(4)工学系の研究の使命の一つは地元の産業を振興することです。しかし理系(もちろん工学系も含む)の研究には別の「地元」の意味があります。それは研究者自身の研究分野にかかわる産業界が組織する共同事業体(コンソーシアム)です。多くの場合大学の教員が先進国で流行している研究を調べて提案を取りまとめ、この教員が代表研究者となり共同事業体とともに国家的な大型プロジェクトに応募し、上記(3)のように追いつけ追い越せの掛け声のもとに大型予算を獲得します。しかしその研究課題は独創的・先進的とは限らず、場合によってはこのプロジェクトはその産業界の衰退を食い止めるためである場合があります。このとき代表研究者は業界の利益代表にすぎず、独創的・先進的な研究成果を切り札として応募するわけではありません。むしろあまり独創的・先進的な研究は国家プロジェクトとして適合しないと判断され排除されます。国内外の多くの研究者・技術者がこの研究に参画している方が好都合だからでしょう。このプロジェクトによって多くの研究者・技術者を支援できるからです。しかしこのように多くの人達が盛り上がって研究しているのは、独創性とは無縁です。現にプロジェクト開始時はこの研究課題は流行しているものの、終了時にはとうに峠を越え、従って追いつけ追い越せで頑張っても目立った成果なく終わる、ということになります。

文系の上記の(1)-(4)の傾向について少々考えることにより、理系の研究の傾向についてもいくつか再確認できたように思いました。

 

(注1)ベルトルト・ブレヒト著、岩淵達治訳「ガリレイの生涯」(岩波文庫439-2、岩波書店、1979)

(注2)松尾博志「電子立国日本を育てた男 –八木秀次と独創者たち–」(文芸春秋、1992)

 

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