第20回 熊谷守一の言葉

 

 

 

田村祥蔵著「仙人と呼ばれた男 画家・熊谷守一の生涯」(中央公論新社、2017年)は画家・熊谷守一(1880-1977)の評伝です。本年(2017年)11月25日に刊行されましたが、これは12月1日より東京国立近代美術館で回顧展「没後40年 熊谷守一 生きるよろこび」が開催されるのと歩調を合わせたのかもしれません。

熊谷は裕福な家に生まれましたが画家を志して家を出た以降、赤貧時代を飄々とすごしました。50代になって、当時「池袋モンパルナス」と称された地域に居住し自宅の小さな庭で自然観察を楽しむ日々を送りましたが、これが表題にある「仙人」と呼ばれた理由の一つのようです。いや、それ以上に熊谷の独特な考え方が主な理由でしょう。

熊谷自身は多くのことを語る人間ではありませんでしたが、本著には田村が熊谷へのインタビューに基づき熊谷の興味深い考え方、生き方が記されています。私のような理系の研究に携わっている人間とは随分違う世界に生きた人ですが、画家としての彼の考え方と理系研究者としての考え方の間にいくつかの共通点を見出すことができました。以下ではそれらのうちのいくつかを紹介します。

熊谷の作品はアカデミックな日本画家や評論家の一部からは、露骨にはけなされないまでも、無視されたり棚上げされることが多かったようです。先人が教える画風、当時流行している画風からあまりかけ離れた、独自性のある作品であったことがその理由でしょう。同じようなことは理系の研究でもしばしば見られます。欧米に倣う研究や流行を追う研究ではなく、独自の研究をしている場合、特にそれが日本発の研究の場合、露骨に非難されないまでも、無視、敬遠、棚上げされることがあります。

フランスの著名な画廊の経営者が来日し、日本の画家の作品をいくつか見た時、ちっとも興味を示さず、「皆、ヨーロッパの真似ばかりではないか」と嘆いたそうですが、熊谷の絵を見てその独創性に驚嘆し高く評価したそうです。まさに理系の研究にも同じようなことがいえます。上記のように欧米の研究や流行している研究を行っても、欧米の研究当事者からすると「真似ばかり」と判断されます。独自の研究、特にそれが日本発の研究でないと高い評価を受けないのです。

上記の回顧展で熊谷の絵を目の当たりにすると、その画風が50代後半からこれまでと変わり、明るい色彩とはっきりとした形を特徴とするようになったことを実感しました。さらに70代後半となると熊谷独自の画風が確立し、かつての荒々しさ激しさ、時には憤ったような絵には二度と戻らず、多作の画家になったとのことです。これにより世間に広く知られるようになり、賛美者も増えていきましたが、決して世に阿ったわけではなく、人の思惑を超えた絵、自分自身のための絵、説明を聞かなければ何を描いたのか全く判らないような絵もしきりに書いたそうです。

この傾向はまさに理系の研究の進捗、すなわち次を見据えた先導的研究の傾向と似ています。研究者は若年の時には一心不乱に限られた範囲の基礎研究を深めます。もちろんその研究が独創的・先導的でなくてはなりません。その成果が蓄積すると研究の幅が広がり、世間に知られるようになります。 すると社会からの要求と連携して応用技術が開発され、それが社会への貢献にもなります。これにより社会からは何らかの賛美が与えられるでしょう(賛美、栄誉は自分の心の中に湧き上がるものであり、他人から与えられるものではありませんが・・・。ちなみに熊谷は文化勲章を辞退したそうです。)

しかし肝心なのは次の段階です。応用技術が進展すると、更に新たな基礎研究の課題が浮き出てきます。または基礎研究の時代に避けて通った問題、手に負えなかった問題などに取り組まなければならないという意識が生まれます。これらは社会の思惑を超え、説明を聞かなければ判らない問題、ひいては自分自身のための問題です。実はこれらの解決に向けて研究を推進することが必須なのです。賛美が与えられてしまうと、その後は文化人、評論家のような活動が求められますが、それとは一線を画し、次を見据えた先導的研究への新しい一歩を踏み出して推進し、研究をさらに深化させることが大切です。このように深化を続けることが新しい知を見出し、将来につなげる知的財産となるのです。深化の道は長く続きますが、これに関し室町時代の能楽師・世阿弥の著「花鏡」の中の一節、「命には終わりあり 能には果てあるべからず」を思い出しました。

熊谷は「絵を描いている時はすがすがしいが、でき上がったものは大概アホらしい。」と述べたそうです。理系の研究では、たとえば実験を行うときは、多くの失敗の後に成功すると達成感が得られます。しかししばらくするとまだまだ問題点があることに気づき、「アホらしさに気づき」つつさらに実験を続けます。しかし「アホらしさ」に気づくことが独創的な研究の進展の証拠です。先駆者に追いつけ追い越せの研究では、追いつくことが問題であり、追いついた瞬間に達成感が得られ問題意識が消滅します。「アホらしさ」に気づかない研究は意味がありません。

上記の回顧展入り口のパネル
(明るい色彩とはっきりとした形を特徴とする「猫」)

 

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