第21回 「失敗の研究」の言葉

 

 

 

金田信一郎「失敗の研究: 巨大組織が崩れるとき」(日経ビジネス人文庫、日本経済新聞出版社、2017年)は当事者への取材などをもとに執筆した「経済書」だそうです。しかしこれを理系の研究と対応させて読むと、両者の間にいくつかの共通点が見つかります。

取材対象とした巨大組織は多数の大企業、さらには国立研究開発法人です。第Ⅰ部では経営上の失敗の事例を取り上げ、第Ⅱ部ではそれらを分析し六つの要因を挙げています。「失敗」の書なので重苦しい気分に浸りがちでしたが、それでも何とか読了しました。

上記の六つの要因として組織の「膨張期」における①肥満化、②迷宮化、③官僚化、そして組織の「巨体維持期」における④ムラ化、⑤独善化、⑥恐竜化、を挙げています。これらを通じて筆者は「組織の経営者が『大企業ほど不正が多い』という肌感覚を持っている」ことを知り、その結果「大企業時代が終わった」という印象を強く受けたそうです。

組織が膨張期に資金を潤沢に確保できるようになると、実験やデータつくりは部下や外部業者に丸投げし、実績をピンハネするという傾向が現れるとのことです。理系の研究の場合、ピンハネするのは「成果の発表」でしょう。研究内容の詳細を現場に立って把握することなく、論文を書いてしまうということでしょうか。そうなると発表した論文の信頼性に問題が生じますね。

強いリーダーシップを発揮した経営者が引退した後は組織の全体像を理解し動かせる者がいなくなり、組織は混乱を来すとのこと。これは理系の研究についても言えます。理系の研究の寿命は一人の研究者の実働期間に相当し、約30年でしょう。一人の研究者が30年間にわたり独創的な研究をしたとしても、その人が引退した後はその研究は科学史の一ページとなるので、後進の人が同じ分野で研究を続ける必然性はなくなります。従ってその研究分野は停滞し、さらには混乱するでしょう。科学史を幾ら復習してもそれでは研究の最前線に立つことにはなりません。

かつて日本のある大企業の経営が大きく傾いたとき、その経営者は、「社会にとっていいことだから、それで倒れたら仕方ないじゃないか。」と腹を括ったそうです。理系の研究でも、「停滞」が長く続くといろいろ弊害が生じます。「その研究が終わっても仕方ないじゃないか。」と腹をくくる必要がありますね。

組織の事業に必要な技術開発において公共的な補助金を得る場合があります。これに対し筆者は税金、公金に頼る組織の劣化を指摘しています。すなわち「公金をうまく使い切ることは、組織としてカネが潤うだけでなく、政官との結びつきを強め、さらなる公金の流し場所として使ってもらえる」、「ムダと批判されても政治や官僚が味方につくため、組織防衛につながる」という考え方に陥り、公金をあてにする組織はいつしか競争心を奪われ、目的を見失い、本業が疎かになっていくそうです。理系の研究において、特に応用研究においてもこの傾向がないでしょうか?研究資金を公金に頼りすぎるのは問題がありますね。基礎研究においては、研究資金を公金に頼りすぎると独創性が損なわれるでしょう。今後はいっそのこと基礎研究を「民営化」してみては?

筆者は「大企業の未来」に関し、「破壊」と「イノベーション」は時間差をもって到来することを指摘しています。既存の社会や秩序、組織が崩れて、その荒廃地から小さなイノベーションがうまれ、それがうねりとなり社会が激変します。つまり「成長」を前提として出来上がった巨大なものが崩れ、その瓦礫の中から、新しい時代に合ったしなやかな強さを持ったものが生まれてきます。これに対し理系の研究では「破壊」や「崩れ」の前に現状研究の「停滞」が長く続きます。しなやかな強さを持った「発明発見」が生まれても、それに対抗し現状研究を維持しようとする動きが生じ「革新」が遅れるのが問題です。

かつて米国のある大企業の経営者は、突出した技術者にはカネで報いるのではなく賞を与えて世界中にその技術を伝える「伝道師」となってもらうことを試みたそうです。それが、違う部門や国で新しい商品を生み出していくからです。理系の研究でも上記の「発明発見」を伝える「伝道師」を育成することが必要ですね。なお、この伝道は原著論文執筆を通じて行うことが正道でしょう。

最後に筆者は「巨大企業を成長させること自体に大きなリスクを伴う時代が到来した。」と記しています。理系の研究でも、巨大プロジェクトを実施すること自体に大きなリスクを伴う時代がすでに到来しているかもしれません。

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